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うすうす気づいてはいたけどやっぱり心ですよね、ということを今日は書こうと思います。
和田裕美著「新・陽転思考」を読んでから作業効率が上がった。
作業効率を上げる系の仕事術の本どれを取ってもこのような上がり方をするものはなかった(私はこのたぐいの本をかなり読んできた)。
この本が示す思考法はとてもシンプルで、
曰く、「事実はひとつ、考え方はふたつ」。
事実をネガティブにとらえてしまうことが悪だと思っていたけれど、
考え方が暗い方向「ひとつ」なのが問題ではなかった。
むしろ考え方が「無限にある」ことのほうが問題なのだと、この本を読んでわかった。
ネガティブな人というのは、考え方が偏っているというよりは、偏らずに色々な視点でものを見てしまうが故に明るいほうにフォーカスできないという状態におちいっている方が多いのではないだろうか。少なくとも私はそうだった。
事実のとらえ方を「明るい」「暗い」の二者択一に持っていくことができれば、
明るいほうを選ぶのはそんなに難しいことではない。
とてもシンプルなので、この思考法は本を読んで1週間ほどで習慣化した。
コツはとりあえず「これでよかった」と言い続けることだが、そこらへんの詳しい説明は省略する。で、起点である「効率」話に戻ると、陽転思考で効率があきらかに良くなった。
こうなってみて初めて、これまで効率を悪くしていたものの正体が見えてくる。
それは「おそれ」だったとおもう。
失敗をしないように、なるべく行動を少なく。動けばぶつかる、ぶつかれば割れる、というのが、社会に飛び出して私が知らず知らず、しかし強烈に、学んだことだった。
動けばぶつかる、の部分は直せないが、ぶつかっても割れなければいい。ある程度のぶつかりを受け止める自信さえつけば動くのはとても簡単だった。
何しろぶつかっていいのだからその場その場でどうするか決められる。覚悟や諦めのプロセスがなくてもこれだけの作業ができるというのは私にとっては驚きだった。それだけ日々緊張して、失敗→絶望のループを積み重ねていたのだと思う。われながらここまでよくやったと思う...体調を崩す前に、このことが知れてよかった。憧れの職業を辞して尊敬する人に嫌われて今の会社に転職してそこでもかなり人に怒られたけれど、今知ることができてよかった。
これで完全に安定したかというとそういうわけではなく、周りの人間関係がぴりぴりしていると自分の感情も波立つのだけど、これはこれである程度はしょうがないかなと思っている。
私はほんとうに不機嫌な人間が苦手だ。正義であっても、いや、正義を振りかざしていれば尚更、嫌悪感で息苦しくなる。
しょうがないと思う。きょうだいにモラルハラスメントを受けて育ってきた。
あれはハラスメントというしかないと思う。私はそれに感情を明け渡してきたことをまだ許せていない。そのすべての瞬間において自分に非があると考え、ちゃんと傷つかなかったことを後悔している。
時々それに囚われて身がすくむ。PTSDというのか、この状態のままずっと生きている。
私の十代は本当に、本当につらいものだったけれど、
そのおかげで私は割と優しい人間になったと思うし、つらさが原動力になって人の心について多くを学んだ。
あんなに姉との関係に問題があったのに、どういうわけか特に年上の女性が私を好いてよくしてくれる。同世代とはまだうまく付き合えないけれど、特定の友達と仲良くしているから問題ない。
私は幸運だと思う。