no pencil no life

書いて考える

あなたは何を以って人に覚えられたいのか

ドラッカーの言葉らしい。


質問として投げかけられたが答えることが出来なかった。私はそもそも人に覚えられたいと思ったことがない(忘れられたい、なら何十回もある)。

 

もちろん人に覚えられていたらそれなりに嬉しい気はする。
ドラッカーがそういうことを言ってるのであれば、私は人に覚えられる喜びをもっと味わってもいいのかもしれない。味わえば味もしめる。覚えられたくなる日が来るのかもしれない。

 

何を以って人に覚えられたいか。
他人が私を思い出すとき、何を脳裏に浮かべるのか。

そもそも私は思い出の中の人間を評価する習慣がない。
だから他人が思い出の中で私に対して下す評価に興味が持てないのかもしれない。
現実に影響を及ぼさない限り、評価は100パーセント他人のものだと思う。
評価の原因も結果もその人の中で完結してしまい私の元には届かない。

もし私が死んだとして、その後誰も思い出さなかったら。
死と同時に私の記憶がこの世から消え去ってしまうとしたら。
それは誰も傷つけない最良の去り方のような気すらする。
もちろんまったく悲しくないわけではないけれど、
自分が死んだあと誰かが悲しむほうが悲しい。

何か事を成そうとするひとたちの、
覚えられたいという衝動はどこから来るんだろうか。